麻田藩 現存する庄屋屋敷「村司家住宅主屋」

このブログにHNりすさんという麻田藩の庄屋、村司家の子孫の方よりコメントをいただき、そこから村司家分家の邸宅が現存していることを知りました。

そこからHPなどで調べていくとそのお宅は文化庁の登録有形文化財の指定を受けておられるということ、そしてお茶とお花の教室をされていることがわかりました。蛍池中町周辺は以前にも調べたり、歩いたりしたことがありましたがその時にはわかっておりませんでした。失礼ながらその教室のメールアドレスに「お宅を拝見したい」とのメールをさせていただいたところ、幸福にも当主の村司様より快諾のお返事をいただきましたので、お伺いさせていただきました。

「村司家は麻田村庄屋、村司家の初代分家で、代々『林蔵』を名乗っていました。もとは茅葺き平屋の農家型民家で、建築年代は当家墓碑銘より幕末期と推定されます。内部はダイドコロ周りを大きく改造しているものの、ザシキ、ツギノマ、ヘヤは当初の姿をとどめ、近畿地方の農家に典型的な田の字型配置の平面構成をとっています。2階は華道の稽古場として昭和27,28年頃に増築。伝統的な農家建築に、茶室や水屋を備えた数寄屋建築の2階を載せるなど、今日風のリフォームに成功した早い時期の建築として貴重です。国登録文化財となっています。」とよなか歴史・文化財ガイドブックより引用

お茶や華道の教室をされておられることもあってか、日本の伝統建築のしつらえが美しいお宅です。門をくぐってから細い路地をL字に曲がると玄関があります。中に上がらせていただくとまるで京都の歴史的建造物に入ったかのような、静かな空間がそこにはありました。ご当主の村司様より家屋をリノベートされた箇所や増築された2階なども案内いただき、ごていねいにご説明をいただきました。

村司家住宅
村司家住宅 posted by (C)FLAT4

1階からは美しいお庭を眺めることができます。

村司家住宅
村司家住宅 posted by (C)FLAT4

村司家住宅
村司家住宅 posted by (C)FLAT4

村司家住宅
村司家住宅 posted by (C)FLAT4


旧くなった邸宅は拝見する側にとってはよくても、住生活を営むには不便なところも多々あり、また震災などの災害にも心配がつきまといます。伝統美の古き良き部分を活かして、安全で住みやすくするということは、新築するより大変なことだと思いますが、後生にまで日本建築の様式美を伝えていってほしいと思います。

村司家は代々の庄屋ですが、麻田藩主青木家の奥女中として仕えていた方もおられたそうです。今でも青木家の分家の方が近隣にお住まいだそうでこれも初耳でした。
徳川家から10万石への加増を提示されたにもかかわらず、「それよりも富士山の家紋が欲しい」と言ったという話なども、初めてうかがいました。

村司家住宅主屋

大阪府
江戸/1830-1867/1953頃増築
木造2階建、瓦葺、建築面積107㎡
1棟
大阪府豊中市蛍池中町2-14-17
登録年月日:20070731
登録有形文化財
一般公開はされていませんのでご注意ください。

取材に応じてくださいました村司様、本当に有難うございました。


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この記事へのコメント

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2010年09月03日 18:07
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この度のご連絡で不快な思いをされた方には誠に申し訳ございません。
りすです。
2011年09月15日 13:09
おひさしぶりです。
一般公開はなしということで、見に行くのをあきらめましたが、村司分家住宅をごらんになられたとか、うらやましいです。写真でみさせていただいて、非常に落ち着いたたたづまいで、まだご当主が住んでおられるんですね。
私の祖母は村司家の本家のほうで、今でも親戚づきあいはありますが、本家住宅の方はだいぶんまえに立て替えています。(広大な敷地でびっくりしましたが。。)
りす
2011年09月15日 13:13
私が祖母の実家について興味を抱くようになったのは
とっても記憶力がよく、つい興味をひくような面白い話をエピソード付で話してくれる伯母の影響がありました。
祖母は垂水村の土地と分家を多く持つ地主の家に27歳と言う当時としては晩婚でお嫁に来ました。生来心臓が弱く、3男3女の末娘の祖母はきょうだいからとてもかわいがられ、結婚させず手元で暮らしても良かったのですが、お見合いをして結婚しました。そのお見合い?というのも、どこかの神社の境内に座ってなさいといわれ、知らぬ間に通り過ぎた祖父が見て、「結婚する」と決めたという。。時代ですね。祖父も身体が弱かったですが、男前でまじめな優しい人だったそうです。父が3歳のときに亡くなりますが。。
祖母は農家に嫁いだ物ですから、舅や、小姑にとっても苛められたそうです。「お武家のお嬢さんになにができるんや」っていわれて、頼る旦那は亡くなってるし、
夜になるとソファの後ろに隠したブランデーを飲んでたそうで、タバコも威勢よくすっていました。でも、とっても上品でカッコいい祖母でしたよ。
祖母の最初の娘が生まれると、その子もとってもいじめられました。なんでもうちの家は分家もみな、第一子が男の子だそうで。。伯母は祖父をはじめ、親戚一同からお手伝いさんのようにこき使われたそうです。次に生まれた弟(父)は跡取りとしておじいさんの秘蔵っ子だったらしく、男女と言うだけでこの違い。
その祖母が、3番目の末娘を生んですぐ、結核にかかりました。そのとき、見捨てられるように実家に帰された祖母の命を救ってくれたのは村司家の長兄でした。
妹と、末娘の為に離れをつくり、阪急百貨店で働いていた長兄は当時開発されたばかりでものすごく高価なペニシリンを惜しげもなく買って祖母に与えてくれました。
祖母はその村司の長兄のおかげで結核が治りました。
りす
2011年09月15日 13:19
さて、長い前置きとなりましたが、実家でいじめられ母がいない家で家事一切をさせられてた伯母(小学生ですよ..)が母親に会いに、村司本家(建替え前)に遊びに行くことはとても楽しい体験だったみたいです。今もなつかしく思い出しては実に詳しく建物の中を覚えています。従弟が自作の内線電話を離れに引いてくれて話をしたとか、伯母の話は面白いんです。祖母の父に当る人が、次男であるが本家を継いだのですが、それは青木のお殿様に、召しだされて仕え、とっても気に入られたからだそうです。(この当りは伯母にもう一度聞かないと、うろ覚えです)祖母の父は、幼い頃まで刀を腰に差していたそうです。村司家は、大庄屋ながら、名字帯刀をゆるされていたそうです。祖母にも、お乳母さんや女中さんがついていたそうです。お手玉や手遊びがものすごく上手だったのですが、そういう遊びばかりして村司家では暮らしていたそうです。私の家は祖父も、曽祖父も亡くなった後、土地を騙し取られたりして祖母が女手一つで3人の子を育てました。とても貧乏だったので、お正月に実家の村司家へかえると、兄弟たちが、お年玉を、常識よりはるかに多めに渡してくれたそうです。子供たちはそれを全部、祖母に渡したそうです。祖母は兄弟たちにとても愛され、大事にされていました。祖母と、父たちを非常に暖かく見守ってくれた村司家の親戚に感謝しています。
伯母は、いつも楽しい拠り所だった村司家の思い出から、祖母の育った家ではないですが、プリントアウトして、写真を壁にはっています。一般公開はされてないし、つき合いは無いですし気軽に見せて、ともいえません(笑)このブログをプリントさせていただいて、もっていってあげたいと思います。ありがとうございました

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