麻田藩と多田銀山のつながり

現在の国道176号と並行して、あるいは重なりながら、豊中市域を南北に貫くのが能勢街道です。かつては池田・能勢と大阪を結ぶ主要幹線道路でした。多田(川西市)の銀山に通じていたので「銀山街道」とも呼ばれていました。

その銀山が元麻田藩領の兵庫県河辺郡猪名川町の多田銀山です。

多田銀山 銀山の歴史
多田銀山 銀山の歴史 posted by (C)FLAT4

一時、麻田藩の所領であったことはあまり知られていません。秀吉の直轄時代を経て江戸時代に麻田藩の所領となりましたが、寛文二年(1662年)には幕府に取り上げられてしまいます。

多田銀山 代官所門
多田銀山 代官所門 posted by (C)FLAT4

天領時代は代官所があり史跡となっています。

多田銀山 代官所跡
多田銀山 代官所跡 posted by (C)FLAT4

代わりに伊丹の北村、大鹿というお米が良くとれる村々をもらったようですが、武器の原料になる銅や銀を取り上げ、農耕地域を与えたのはやはり外様大名だからでしょうか。

多田銀山には興味深い場所があります。それは青木間歩(あおきまぶ)という坑道です。
多田銀山 青木間歩とアオキ
多田銀山 青木間歩とアオキ posted by (C)FLAT4

「周囲にアオキが茂っていたことから、その名がついたといわれています。」といういわれ通り、周辺にはアオキがありましたが、麻田藩主の青木家の名にちなんで名前が付けられたのではないかということです。確証は得られていないのですが、何か繋がりはあるのではないでしょうか。

多田銀山 青木間歩
多田銀山 青木間歩 posted by (C)FLAT4

またこの青木間歩は多田銀山で唯一内部まで入れるように整備されています。それだけ重要な位置づけの間歩であったということなのでしょう。

多田銀山 青木間歩
多田銀山 青木間歩 posted by (C)FLAT4
多田銀山 青木間歩
多田銀山 青木間歩 posted by (C)FLAT4

麻田藩や麻田村の人々が銀山街道を経て、この多田銀山まで来ていたことは確かですから、何か手がかりが残っているのではないかと思います。どなたかご存知であればまた教えてください。



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